誕生秘話
玄海漬本舗は、かつて商業捕鯨が行われていた佐賀県唐津市で現在も玄海漬本舗の屋台骨である玄海漬(鯨の軟骨粕漬け)の製造を機に明治中期に誕生しました。
鯨の回遊路になっていた玄界灘海域の佐賀県唐津市一帯は、かつて捕鯨基地で江戸時代初期から昭和二十年代まで捕鯨が行われていました。鯨はちゃんと捌けば一切捨てるところは無いと言われており、鯨のひげは工芸品、皮や脂肪は鯨油として利用されていました。また、鯨の肉は、栄養価の高い安価な食材として庶民の食生活を支え、学校給食でも子供たちの健康を育む料理メニューとして供されてきました。当時、捕獲したばかりの鯨の軟骨は醤油漬や塩漬にして食べられていました。
しかし明治の中頃に創業者高田庄太郎氏が鯨の軟骨を調味した酒粕の中に細かく切って合わせ漬け込んだところ日本酒の香りとコリコリした食感が酒肴やご飯のおかずとして大好評。こうして現在の玄海漬(鯨の軟骨粕漬け)が生まれました。
この鯨の軟骨粕漬けを缶詰に入れて海軍の保存食として納品していたのが始まりだそうです。今も色褪せないレトロなデザインです。
玄海漬の創業者である髙田庄太郎は、当時いくつか別に事業を行っており、その中で砂事業も行っていたそうです。 そこで佐世保に海軍基地が建設する際に、砂の手配をして尽力したそうです。 この協力に際し、海軍の保存食として玄海漬(鯨の軟骨粕漬け)を納品することになったそうです。 あいにく記録が残っておらず、先代から言い伝えられた話です。
終戦後は、現在のように惣菜が多くない時代、炊き立てご飯のお供としてご家庭のテーブルに並んでいました。
冷蔵設備が普及していない時代には、海の幸や山海の幸を常温で長期保存できる粕漬は、大変貴重な食品でした。
しかし、冷蔵設備の普及による生鮮食品を使った総菜の増加、大家族から核家族への移行に伴い粕漬が家庭のテーブルから自然消滅、若い方の日本酒離れ等により粕漬を知る世代の高齢化が進みました。
そこで粕漬けのなじみのない世代に日本の伝統食である粕漬をしっていただくきっかけになって欲しいとの想いで若い世代にも人気のあるクリームチーズ、ドライフルーツさらにバターを使った粕漬を作り、SNS等を通じて発信していきました。 お陰様でメディア等でも取り上げていただき、粕漬を知らない若い世代のお客様にも少しずつ認知していただけるようになってきました。
今後、現7代目社長のもと引き継がれた製造方法による伝統の味を大切に守りながら
時流に合わせた商品づくりを行っていきたいと思います。
玄海漬の名前由来
地元唐津から玄海灘を通じて世界に発信する漬物になるという想いのもと 玄海漬と名付けられました。
トレードマークの星は、玄界灘を通じて世界に進む道しるべとなる
北極星を表しています。